threewitches’s blog

元々は舞台・映画鑑賞が大好き。でも最近はテレビを見る時間が出来て、今までを取り返すかのようにドラマを見まくっています。そんな中、感想や独り言を思うままに書き留めたブログです。

さびしい宝石 - La Petite Bijou

私もパリのシャトレ駅にいた。2015年の夏だった。

そこは幾つもの路線が乗り入れし、乗り換える為には動く歩道を延々と歩かないといけないような大きな駅だった。駅はたくさんの人で溢れかえり、集中していないと見失いそうになった。様々なことを。もしもその時、私も本の主人公と同じ様に、幼い頃に死んだと聞かされた母親をそこで目撃したと思い込み、その女性の後を尾けたとしたらどうだろう。何故私を捨てたのか問いただそうという思いに取り憑かれ、そうしてふと、私はどうしてこんなことをしているんだろう、私は一体何者なんだろう、と突然自分自身に問うたとしたら。


それはとても孤独で、耐え難いくらい寂しいことかもしれない。


ノーベル文学賞を受賞した、パトリック・モディアノの小説を母に勧められて読んだ。現代フランス人が一体どんな小説を好んで読んでいるのだろうと興味津々だったが、終わりが近づくにつれ、フランス人はなんて暗いんだろうと思った。そして終わりまで読んでしまうと、フランス映画を観終わった時のような後味が残った。決してストレートなメッセージがあるわけではなく、その場に漂う雰囲気から伝わる情感。言葉の端々に浮かぶアンニュイな感じ。いやもう、とにかく暗かった。母親がモロッコからの移民であることを想像させるところや、様々な言語のラジオ放送を翻訳する職業を持つ男など、歴史的に移民を受け入れ、多様な文化が混在するが故に光も影も存在するパリという街の空気が伝わってくる本でもあった。


パリはグラマラスな街だ。宮殿のような建物がいくつもあり、セーヌ川を渡る橋はどれも美しく個性的だ。装飾的な街、とも言えるかもしれない。でも、そんな光が当たる場所の裏に、パリの影がある。地下鉄に乗れば、見た目だけで貧富の差がそれとなくわかる。そしてその「見た目」という基準には、人種も含まれていると感じざるをえないものがある。


2015年の夏にパリを訪れた時、私は初めてAirbnbを利用した。当初はサンジェルマン辺りを探していたのだけれど、直前に調べたので良さそうなところは空きがなく、結局なんでだかもう忘れてしまったけれど、モンパルナスビエンナヴュー駅から徒歩10分くらいの場所を予約した。モンパルナス駅も幾つもの路線が乗り入れしている大きな駅だった。駅を出て6車線くらいはありそうな広い道を進み、幾つ目かの角を右に曲がり大層古ぼけたホテルの目の前の建物にAirbnbはあった。集合住宅(もしくはフランス風近代的な見た目のアパート)の中にある小さな部屋だった。


私が道に迷ってしまいAirbnbのオーナーに電話をした時、彼女はとても不親切だった。そしてとても不機嫌だった。その日は耐え難いほど暑かったし、きっと暑さのせいでイライラしていたんだろうと思うことにしたけど、「失礼な態度」の一歩手前くらいだった。彼女は何系フランス人だったんだろう。肌の感じだと、アフリカかアラブの血が混じっていそうだった。部屋を案内する間、彼女はずっとフェイクスマイルを顔に湛えていた。


集合住宅の見た目はまあまあ近代的だったのに、中に入るとかなり古く、廊下は真っ暗だった。タイマー式のライトがついていて、スイッチの場所を知っていなければ真っ暗闇の中自分の部屋まで行くはめになる。そして、部屋には番号が印されていなかった。最初はオーナーに案内されたので、番号が印してあるかどうかなんて気にせず出かけて帰ってきたら、どのドアも同じように見える上に廊下は真っ暗。なんとなくこの方角だったような気がする、という思いであたりをつけた部屋は鍵穴に鍵は入るけれど回らない。ガチャガチャとなんとか回そうとしている内にタイマーが切れて廊下のライトが消える。スイッチまで戻りライトを点け、また試す。結局私が泊まっていた部屋は別な場所にあった。


泊まった部屋の窓からは、小さくエッフェル塔が見えた。午前0時にライトアップされたエッフェル塔はとても綺麗だったけれど、同時に私は寂しい気持ちになった。一人旅だったせいもあるかもしれない。モンパルナス駅から幾つものカフェを通り過ぎ楽しそうに晩御飯を食べる人々を尻目にこの集合住宅まで辿りつく。エレベーターから降りると廊下は真っ暗。ライトはタイマー式だからスイッチを押しても30秒くらいたつとまた廊下は暗闇の中に戻る。そんなものの後に見るエッフェル塔は、私をどこかアンニュイな気持ちにさせた。この小説を読んでいる内に、あの時のパリを思い出した。光が当たるパリ。グラマラスなパリ。一歩それればアンニュイな気持ちになるパリ。多様な人種。人種間の差。広大な駅。でも人々は忙しすぎて、一目散に家路につくことばかり考えていて、そんな「差」については誰も目もくれようとしていないように私の目には映った。少なくとも、光が当たる場所にいる人々は。


想像してみる。


主人公のように、あの街で、幼い頃に母親に捨てられた理由を探し求めたとしたら、どうだろう。母親は嘘で塗り固められた人生を送っていた。主人公が幼い頃に見聞きしたもの、母親がいなくなった後に聞かされたもの。でもどれが事実かなんて分からない。教えてくれる人もいない。思いは全て主人公の中だけで巡る。どこにも出口が無い。叔父と教えられ唯一自分によくしてくれた男は本当に叔父だったのか。母親はある時羽振りが良くなり大きな家に引っ越す。中国人の料理人までいた。でも、家の中は空っぽ。主人公の心と同じような空っぽの器。言われたことをそのまま信じることが生きる術であり主人公の心の拠り所だった。母親はモロッコに逃げそこで死んだと聞かされた。でも、主人公はシャトレ駅で母親にとてもよく似た女性を見かけ後を尾ける。家まで尾ける。主人公の過去の記憶と、母親に似た女性の姿が交差して主人公の心は大きく揺さぶられる。主人公の心は常に軸を失いぐらぐらだ。自分が何者であるかも分からず、それを確かめる術も知らない。まだ若く、そして心はまだ空っぽの器のままだ。


想像してみたら、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになった。果てしなく寄る辺無い。とてもとても寂しい気持ち。


物語の終わりは、そこはかとない希望を残して終わる。わずかでも希望があって欲しいと思いたくなるような小説だった。主人公には留まるべき場所がない。心の拠り所もない。そこに一片の思い出でもいい。胸が暖かくなるようなものがあればいいのだけれど、それが無いまま、小説は終わる。


暗い小説だった。でも、分かる気もする。パリの光と影を肌で感じたことがあるならば、この小説は人が抱える寂しさに触れる何かがあると思う。